皆さま、こんにちは。今日の岐阜は午後から雪。体感としては、降り出す前がもっとも寒く、降り出すと少し寒さがやわらぐ、と感じる人もいるといいます。とはいえ、私は、いまもとっても寒いです!
さて、守富環境工学総合研究所(Meel:ミール)の所在地、岐阜市問屋町については、この「ウカンムリ 日記」で触れてきましたが、ここへきて、読み方問題が浮上しました。といいますのは、昨日、『岐阜市今昔写真集』という本の昭和30年ごろの問屋町付近の写真を見ておりましたら、問屋町のルビとして「といやまち」とあるではありませんか!
といやまち?!
これまで、何の疑いもなく「とんやまち」と言っていましたので、びっくり。さっそく、郵便局の郵便番号案内で検索しますと、岐阜市問屋町の問屋町には「といやまち」と読みがしるされていました。広辞苑で引きますと、といや【問屋】(トンヤとも)とありました。
岐阜市問屋町は、本来、といやまちと読むのが正しくて、通称、とんやまち、なのでしょうか。古くからいらっしゃる町内の方々に教えていただけたらと思います!ちなみに、少々古いですが、手元にあります昭和55年発行の『角川日本地名大辞典 岐阜県』には、以下のようにありました。
といやまち 問屋町〈岐阜市〉
〔近代〕昭和30年〜現在の岐阜市の町名。もとは高野町7〜8丁目・真砂町13丁目・金町8丁目・吉野町6丁目の各一部。1〜4丁目がある。町名の由来は、地内に繊維問屋街を形成していることによる。もとのハルピン街の一部。昭和40年の世帯数197・人口978。
なお、同じ『角川日本地名大辞典 岐阜県』の岐阜市の「既製服生産」にはこのようなことも書いてあります。
昭和21年10月、20軒の満州からの引揚者が駅前の焼け跡に引揚民更生社を結成し、飲食店を中心としたハルピン街を建て、そのなかに既製服業者が4、5軒開店して急速に販売を伸ばし、1、2年のうちに120軒に増加した。同24・25年の大暴落に全国を行脚して販路開拓、全国の業者が集まるようになり問屋街が大きく発展した。(中略)昭和30年商店約700・販売額約300億円に達した。
そのようなまちで、縦糸・横糸さまざまな人のつながりに助けられ、ミールは育っていく予定です。
問屋町の古い写真を掲載できる機会がありましたら、またあらためてご紹介します。本日の写真は、JR岐阜駅前。黄金の信長像も寒そうです。
(スタッフC)
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